大きな盲点③ ——「食べ続けるのが当たり前」を、空腹から問い直す
前回は、ヴィーガンのお話をしました。私の食には、もう一つの柱があります。ほとんど毎月、数日のファスティング——断食の期間を設けていることです。
この連載をはじめて読む方は、糖質制限の①、ヴィーガンの②と合わせて読んでいただくと、一つの大きな全体像が見えてきます。もちろん、この記事から読み始めても大丈夫です。
一般に広く知られているファスティングには、いくつものやり方があります。酵素ドリンクを飲みながら、一日に数リットルの水を摂る。砂糖を加えていない人参やりんごのジュース、あるいは野菜や果物を搾ったコールドプレスのジュースだけで過ごす。方法はさまざまです。
多くの場合、いきなり始めることは推奨されません。前日や数日前から食事を少しずつ減らし、終えたあとも、少しずつ戻していきます。こうした手順は、たいてい、身体への負担を和らげるためにあります。それに、急にやめると、身体も気持ちも、いつものペースへ戻ろうとするものです。少しずつ進めるやり方は、その揺り戻しと折り合っていくための工夫なのでしょう。
ファスティングをする目的として多いのは、ダイエットと美容かもしれません。食べなければ、体重は短期間で落ちていきます。ただ、短い断食で減るものの多くは、身体の水分であることが多いのです。美容の面でも、数日で肌の調子が整ったり、身体が軽くなったりと、確かな手応えを感じる人は少なくありません。
ここで、時間軸を、ぐっと長くとってみます。私たち人類は、数百万年ものあいだ、飢えとともに生命を繋いできました。人だけではありません。他の動物たちもまた、満たされない時間を生きてきたのです。日本でさえ、誰もがこれほど満腹に食べられるようになったのは、まだ百年も前のことではありません。私たちは、つい最近になって、飽食という時代を生き始めたばかりなのです。
ところが、その豊かさの中で起きているのは、何でしょうか。食べ過ぎ、飲み過ぎなどから来る不調が、生活習慣病という一括りの名で、社会のあちこちに広がっています。長い飢えの歴史に合わせて作られてきた身体に、突然あふれるほどの食が注がれた——その歪みが、いま表に出てきているのかもしれません。
何を隠そう、私自身が、2型の糖尿病になっていました。これは、私が自分の食生活と、食への信念を見つめ直す、大きなきっかけになった出来事です。糖尿病そのものについては、また別の記事で書けたらと思います。ここでは、これ以上は踏み込まずにおきましょう。
いま私がどんな食生活を送っているかと言えば、まだ模索の途中です。糖質を抑え、ヴィーガンを取り入れ、ファスティングを重ねながら、自分の身体で確かめています。
基本は、ナッツ類です。アーモンド、くるみ、ピーカンナッツ、マカダミアナッツ。飲み物は、水とコーヒー、それに柿の葉茶が多いです。乳製品は控えています。全体としては、少食で、粗食です。そのうえで、月のうち一定の期間をヴィーガンとして過ごし、毎月、数日のファスティングも取り入れています。その期間を除けば、お肉やお魚を、たまにはいただくこともあります。
ただ、糖質だけは常に気にしていて、米やパン、小麦を使った料理、お菓子のたぐいは口にしません。ナッツが主役であり、おやつの役回りも兼ねています。とはいえ、ナッツはカロリーが高いものです。気を抜いてつまみ続けると、身体が重くなったり、消化に負担がかかったりすることもあります。
ここまで来ると、ファスティングが、ただのダイエットや美容の手段ではないことが見えてきます。それは、「いつも食べていて当たり前」という前提を、一度手放してみることでもあります。自分の身体が、そして食への思い込みが、どこまでほどけていくのか——それを確かめる、試みなのです。空腹は、避けるべき敵ではなく、長い間私たちの生命とともにあった、なじみの状態なのです。
ですから、もし関心があれば、まずは一食、いつもより長く間を空けてみても良いのです。いきなり数日間も食を断つ必要はありません。
こうして書いていくと、私の食は、どこか定まらない、落ち着きのないものに見えるかもしれません。
確かに、一つのやり方にきっぱり決めてしまうほうが、ずっと楽です。「これだけを食べていればいい」と決めてしまうのも、一度身についた価値観や考え方の枠の中に、そのまま収まり続けるのも、何も考えずに、いつものままを続けていくのも——どれも、頭を悩ませずに済む道です。
私があえてそうしないのは、食の「当たり前」を、自分の身体で確かめたいからです。一つに決めてしまわず、いつもより少し高いところから考え続けることは、かなりのエネルギーを使います。答えの見えない問いを、手放さずに抱えているようなものです。
しかし、今いる場所のずっと先に、本当に望む生き方を思い描いているなら、その大変ささえ、むしろ、ごく自然な道のりに変わっていきます。そして、それは決して、苦しみでも不幸でもありません。心の奥が、その先の生き方へと動き出せば、こうした選び方も、無理に頑張るものではなく、ただ自然な振る舞いになっていくのです。
次回の④で、この「大きな盲点」をめぐる一連のお話は、ひとまず最後になりそうです。私が本当にお伝えしたかったものが、そこで姿を見せます。続きも、ぜひ一緒にたどってみてください。
