コラム

生きる意味と、生まれてきた意味

蓮彩聖基

何のために生きるのかを考えたことはありますか?自分は何で生まれてきたのだろうとか、どんな運命なんだろうと一度は考えたこともあるかもしれません。人によっては何かしらの信仰をもっている方もいるでしょう。スピリチュアルに興味関心のある方もいるでしょう。

私たちは気づいた時にはこの世に生を受けていました。そして成長するにつれて意識を持てるようになり、意思も持てるようになっていきます。原始的な判断・行動だけではなく、抽象的なことを考えたりもするのです。それが、先ほどの何のために生きているのかとか、何で生まれてきたのだろうなどということです。

親や、身近な人の信念がそのまま内在化することももちろんあります。その場合は、特に吟味することはなくごく自然と自分の信念として組み込まれていきます。むしろ、その信念というのは基本的には本人にとって疑う必要のないものなのです。

多種多様な宗教的な信念がありますから、それらへの評価はここではしませんが、何のために生まれてきているかはわからないというのが簡潔な説明です。そして、何のために生きるかなどもわからないのです。もし、何かしらの意図や意味を持ってこの世に生まれてきたと仮定しても、それはなぜわかるのでしょうか。霊能者と言われている人に聞いてみたり、自分の頭の中で閃いたりするかもしれません。しかしそれが、本当に真実かは到底知り得ないのではないでしょうか。

前世やあの世のことは、わからないのではないでしょうか。私たちが知覚できない世界は認知的には存在していないものと同様であり、全て幻想になるのです。今見ている世界そのものも、私たちの認知現象の範疇で見え方や捉え方は変形しているのです。起きる現象に対しても、それをどのように解釈するかも同様に認知現象の範疇に過ぎないのです。

科学も、この宇宙の全ての事象を解明し説明ができるわけではありません。異なる銀河系へ行けば私たちが認識している物理法則とは全く違った世界が拡がっている可能性すらあります。この地球の歴史を振り返っても、その時代時代で正しいとされてきたものはその時代の最先端の知見によって新しいパラダイムに書き換わることは珍しいものではありません。

そして現代は数十年前よりも情報が溢れている世界です。人一人が、当然全てを意識に上げることはできませんし処理することもできません。人は自分のことすら、よくわかっていないのです。悩み囚われ、執着し苦しむわけです。それでも、何とか自分の人生をより良くしたいと願い、成長したいと思うわけです。

自分自身が認知できる世界そのものが刹那で無常であり、その認知も常に変化している中でもまさに見えない世界のことを語ることに意味はあるのでしょうか。それは夢物語やフィクションとして、楽しめられればよいかもしれません。しかしそうすると、それは娯楽になるわけです。娯楽になってしまったら、自分の人生をより良くしたいとか、成長したいというところからは離れてしまうのです。

ではどのようにして、私たちは生まれてきたこと・生きることを解釈すれば良いのでしょうか…

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