過去に可能性はない——未来側から現在を生きる
「あの時こうしておけばよかった」 「もう一度、あの瞬間からやり直したい」こうした思いは、誰の中にも自然と湧いてくるものです。
ただ、少し考えてみると、不思議なことに気づくのです。私たちは本当の意味で、過去をやり直したことが、これまで一度もないのです。
例えば、動画の撮り直しは可能でしょう。料理の作り直しもできます。
ですが、その瞬間そのものは、もう二度と訪れません。やり直しをしているように思えて、私たちは別の時間を、新しく刻んでいるのです。これは、時間が未来から現在へと流れているからです。
時間は、未来の側からやってきて、私たちの足元を絶えず流れていきます。気づいた時にはもう、さっきまで「今」だったものは過ぎ去っているのです。私たちが立っている地面そのものが、刻一刻と入れ替わり続けているのです。
過去は、可能性を持ちません。なぜなら、過ぎ去っているからです。そして過ぎ去り続けるからです。過去に対して私たちができるのは、解釈を変えること、記憶の重さをやわらげること。そのくらいなのです。つまり認知操作にしかすぎません。
もちろん、過去を整理することには意味があります。整理しなければ、前に進めないこともあるでしょう。ですが、そこに長く関わり続ける必要はないのです。
私たちが本当に可能性を投じられる場所は、未来側にしかありません。
私たちの心は、まだ来ていない未来時間に置かれた評価関数の地形に沿って、自然と動き始めるようにできています。未来側の自分が、現在の自分を呼んでいる。そう捉えてみると、世界の見え方が少しずつ変わってくるはずです。
たとえば、料理の話に戻ってみます。
昨日の料理を悔やんでも、昨日の料理は戻ってきません。ですが、明日の食卓は、今この瞬間からいくらでも組み立て直せるはずです。明日のテーブルにのる一品を、ありありと思い描いたその瞬間から、買う食材も、調理の段取りも、自然と動き始めます。
人生もまた、それと同じ構造をしているのです。ですから、過ぎ去ったものにいつまでも関わらなくて良いのです。深淵な過去に潜り続ける必要はありません。
この一瞬すらも、すぐに過去になっていく——その流れを、責めも抗いもせず、ただ認識してみてください。そして、未来側の自分が見ている景色のほうへ、ごく自然と歩みを進めていけばよいのです。
可能性は、いつだって、まだ来ていない方向に、広がっているのです。