段取りが立つということは、現状の内側にいるということ
何を、どうすればいいかがわかっていたり、あれをやって、次にこれをやると段取りを立てられたりと、要所要所のポイントが、自分の手で押さえられている。そうした手応えは、ある種の安心感を、私たちに与えてくれるかもしれません。
しかし、道筋がはっきり見えているということは、その道筋が今の自分の認知の範囲の内側に収まっているということでもあるのです。これは、コンフォートゾーン——自分にとって居心地のよい範囲——の中で動いている、何よりの証拠なのです。
コンフォートゾーンの中で選び続けること自体は、決して悪いことではありません。生命としては、ごく自然で、安定的な働きです。むしろこの働きがあるからこそ、私たちはここまで命をつないでくることができたとも言えるのです。ですが、気づかないうちに、私たちはある作業を、無意識的に続けてしまっていることがあるのです。
「自分はこういう人間だ」「自分にはこれくらいがちょうどいい」
そうした信念を、日々の選択の中で、繰り返し繰り返し補強していってしまう作業です。たとえば、朝起きて何を口にするか。仕事でどの選択肢を取るか。誰と関わり、誰と関わらないか。そうした決断のひとつひとつが、「いつもの自分」のかたちを、塗り重ねていきます。それも無意識的に。
これは、過去側からの最適化なのです。過去の連続性そのもの、と言ってもよいでしょう。コンフォートゾーンを狭めている、というよりも、いま在るコンフォートゾーンを、いっそう堅固にしている。そう言ったほうが、感覚としては近いかもしれません。
私たちの心は、抽象度のもっと高い空間にまで届くようにできています。そこで思考をし、そこで描いたものを、現実のほうへと、顕現させていける。それが、私たちがもっている一つの可能性なのです。生命として安全な現状のコンフォートゾーンに留まり続けることもできますし、抽象度の高い未来側へ踏み出していくこともできます。
どちらかが正しい、という話ではありません。どちらも、あなたの中に、すでにある可能性なのです。ただ、ひとつお伝えしたいのは、その選択は、外側の誰かが決めることではない、ということです。主権は常にあなたの中にあり、あなた自身が舵をとるのです。
加えて、道筋のまだ見えていない場所のほうに、新しいあなたはもうすでにいるのです。