借りものの目で、あなたは自分を採点している
他人の評価が気になって仕方がない。——それは、あなたの心が弱いからではありません。
スマートフォンを開けば、いいねの数、フォロワーの増減、コメントの一行。私たちは一日に何度も、自分が誰かにどう見られているかを確認しています。SNSは、その確認を、限りなく速く、限りなく多くしてしまいました。
では、なぜ私たちは、これほど他人の評価に揺れるのでしょうか。
苫米地式コーチングでは、自分が自分にかけている言葉を、セルフトークと呼びます。私たちの自己評価は、この内側の声によって、少しずつ形づくられています。
ここに、見落とされがちな事実があります。その内側の声の多くが、もともとは他人の声だ、という点です。「そんなことをしたら笑われる」「みんなはこう思うはずだ」——いつか誰かに言われた言葉、どこかで感じた視線が、自分の声として定着していくのです。
つまり私たちは、他人の視点を、自分の視点だと思い込んでいます。自分の頭で世界を見ているつもりで、実は借りものの目で、自分を採点し続けているのです。
ですから、これは承認欲求が強いという、性格の問題ではありません。自分の人生の主語が、知らぬ間に「他人」にすり替わっている——その状態なのです。
たとえば、自分の家のはずなのに、模様替えのたびに隣の人の顔色をうかがう。着る服を、自分が心地よいかではなく、誰に何と言われるかで選ぶ。それは、自分の家に住みながら、家主の椅子を誰かに譲っているようなものです。
ここで効いてくるのが、自己決定感です。自分のことを自分で決めている——その感覚そのものが、私たちのエネルギーの源になります。逆に、何を着るか、何を選ぶか、どう生きるかの決定権を外側に預けるほど、私たちは気づかぬうちに消耗していきます。
ですから、小さなところから、決定の主語を自分に戻していくのです。
今日の一つの選択を、「どう見られるか」ではなく「自分はどうしたいか」で決めてみる。評価が気になったときは、その声が本当に自分のものか、それとも借りものかを、一度だけ問い直してみる。セルフ・エスティーム——自分の価値の自己評価は、外側の基準ではなく、自分で決めて良いものなのですから。
他人の評価は、消す必要はありません。それは、ただの情報の一つとすればよいのです。
主語が自分に戻ったとき、同じ世界が、まるで違って見えはじめます。あなたの人生の主語は、はじめからずっと、あなたなのですから。