コラム

Self・Ego・TCZ——一つの認知過程を表す三つの記述

蓮彩聖基

苫米地理論のSelf・Ego・TCZは、二つの人格と一つの結果を並べたものではありません。三者は、同一の認知過程を、可能世界上の意味、状態空間上の制御、安定領域という三つの水準から記述したものです。したがって、基盤となる認知過程は一つです。ただし、各語が担う記述上の役割まで同じではありません。本稿では、この「同じ」と「異なる」の水準を分けます。

可能世界は現在と将来のあり方を表す

ここでいう可能世界とは、物理的に実在する平行世界ではありません。一つの可能世界は、現在または将来の一つのあり方を表します。認知世界Wには、現在だけでなく将来可能性も含まれます。

認知世界Wは可能世界の集合であり、一つの可能世界そのものではありません。また、ある可能世界がWに含まれることと、可能世界どうしがどのように順序づけられるかも別の関係です。この基礎構造は、認知世界Wと可能世界の順序構造で詳しく論じています。

Self・Ego・TCZは一つの認知過程を三つの水準から記述する

三者が同じなのは、一つの認知過程を扱う点です。異なるのは、その過程を何として記述するかです。Self・Ego・TCZは同義語ではありませんが、互いに独立した三つの構成物でもありません。

Selfは、可能世界上で望ましい領域を選択し、またはその領域自体を変換する意味論的な作用として記述されます。「意味論的」とは、どのようなあり方を望ましいものとして置くかという、意味の側から記述するということです。したがってSelfは、性格、魂、内なる真の自己、願望の強さではありません。

Egoは、その認知過程を状態空間上の制御として記述したものです。状態空間とは、取り得る認知状態と、その状態が時間の中でどのように変化し得るかを記述する枠組みです。EgoはSelfの作用をこの枠組み上で実装し、その方策は各状態に応じてどの操作を選ぶかを定めます。ここでいう実装は、Selfが先に処理を終えてからEgoが動き始めるという時間順ではありません。同じ認知過程を力学的に表すという意味です。

Egoの制御では、各時点の評価を足し合わせた累積評価コストが扱われます。評価コストは、人格、能力、善悪、社会的価値を採点する点数ではありません。認知的不安定性、不快性、内部不整合を記述する量です。ある経路の累積評価コストが高いという記述は、その経路が時間を通じて、より大きな認知的不安定性を伴うことを意味します。

TCZは、その認知過程における状態空間上の安定領域です。現在状態から到達可能であり、かつ評価コストが許容閾値以下となる認知状態の領域を表します。現在いる一点や、単発の一行動を指す言葉ではありません。

Selfを可能世界上で表す記述と、EgoとTCZを状態空間上で表す記述は、一つの認知過程を異なる枠組みから捉えます。ただし、可能世界と状態空間は同じ数学的対象ではありません。意味の側で選択された領域と、制御の側で扱う軌道や安定領域をどのように対応づけるかが必要です。この対応は、同じ過程を異なる記述の間で結ぶための条件です。

Selfの記述だけではEgo方策の細部は決まらない

Selfが可能世界上で望ましい領域を選ぶことは、どのようなあり方を望ましいものとして置くかを、意味の側から定めます。しかし、その意味論的な記述だけでは、具体的に何を、どの順序で行うかまでは指定されません。

Egoの方策を記述するには、現在の認知状態、許容される操作、操作による状態変化、扱う時間範囲、評価コスト、そして可能世界側の選択と状態空間側の領域を結ぶ関係が必要です。同じ望ましい領域を選んでいても、現在状態や許容操作、評価の置き方が異なれば、具体的な制御方策は変わり得ます。

これは、SelfとEgoが別々の認知過程であることを意味しません。同じ認知過程を意味論的な記述から制御の記述へ移すとき、具体的な方策を定める条件が追加で必要だということです。

条件を十分に指定した個別の制御問題に、一意な方策が存在する場合はあります。ここで否定しているのは、Selfが望ましい領域を選択したという記述だけから、具体的な方策や軌道、TCZへの接近までを導くことです。

評価コストを最小化するEgo方策を置いたというだけでも、TCZへの接近、有限時間での到達、唯一の軌道、最短経路は保証されません。TCZの二条件と個人TCZへの接近に必要な条件は、認知ホメオスタシスと個人TCZ収束の条件で分けています。

未来ゴールが現在の制御をどのように組織し、過去の情報の現在的な意味とどう接続するかは、SelfとEgoの一般的な役割差だけでは尽くせません。その時間関係は、未来原点認知時間とは何か——未来ゴールが現在を組織するで独立して論じています。

一行動だけではSelf側の選択内容を一意に同定できない

反対方向から見ると、Ego方策のもとで選択された行動を一つだけ観察しても、得られるのは制御過程の一断片です。その一行動とSelf側の意味論的な選択内容との一対一対応は、SelfとEgoの定義だけからは与えられません。

したがって、ある一行動が複数の選択と両立するとき、その行動だけでは、Selfがどの領域を選択しているかを一意に同定できません。この限定は、一つの局所的な行動から本人の意味づけ全体を逆算しないために必要です。

これは、行動とSelfが無関係であるという意味でも、Selfが原理的に推定できないという意味でもありません。制御の断片から意味の側へ読み戻すには、より長い行動系列、本人が用いる評価基準、選択肢が競合した場面、継続的な制御の変化など、追加の情報が必要だということです。

外形行動の解釈と、誰がゴールを設定したかという判定も同一ではありません。その区別は、自らを拠り所にする——助言とゴール設定主体に委ねます。

記述水準の違いは認知過程の分裂ではない

二つの方向を合わせると、SelfとEgoの関係が明確になります。Self側の意味論的な記述だけではEgo方策の細部は定まらず、一つの行動が複数の選択と両立する場合には、その行動だけではSelf側の選択内容を一意に同定できません。

前者は、意味論的な記述から制御の記述へ移るために追加の条件が必要であることを示します。後者は、観察された制御の一断片から意味論的な記述へ遡るために追加の情報が必要であることを示します。どちらも、SelfとEgoが別々の認知過程であることを意味しません。同じ認知過程を異なる記述の間で読み替えるときの限定です。

Self・Ego・TCZは、順番に作動する三つの人格的部品でもありません。Selfが処理を終えてEgoへ命令し、その後にTCZが生じるという時間順では捉えられません。同じなのは基盤となる認知過程であり、異なるのは記述水準と役割です。Selfは可能世界上の意味論的な選択または変換、Egoは状態空間上の軌道の制御、TCZはその状態空間上の安定領域を表します。

SelfとEgoを分けて述べる目的は、人間を二つに割ることではありません。可能世界上の意味論的な記述、状態空間上の制御の記述、安定領域の記述を対応づけたまま、それぞれが何を表すかを明確にすることです。三者の統一性を保ちながら記述水準を区別することで、Self・Ego・TCZを矛盾なく一つの認知過程として捉えられます。

ABOUT ME
蓮彩聖基(はすたみ こうき)
蓮彩聖基(はすたみ こうき)
パーソナルコーチ
1997年生まれ。苫米地式コーチング認定コーチ(2016年認定)、苫米地テオレム認定シニアエバンジェリスト(Senior-TTCE、2026年認定)。苫米地理論の解説と、苫米地式コーチングに基づく一対一のパーソナルコーチングを行っています。
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