心と感情

傷つくのが怖い心理と向き合う|恐れを超えて進む方法

蓮彩聖基

「傷つきたくない」という心の声

新しいことを始めようとするとき、誰かに想いを伝えようとするとき、自分の意見を表明しようとするとき。

心のどこかで「傷つきたくない」という声が聞こえることはありませんか?

失敗したらどうしよう。否定されたらどうしよう。批判されたらどうしよう。笑われたらどうしよう。

こうした恐れは、私たちの足を止めてしまうことがあります。

傷つくことへの恐れは、とても自然な感情です。誰だって痛い思いはしたくありません。けれど、この恐れに支配されたまま生きていると、私たちは大切なものを得られなくなってしまいます。

なぜ私たちは傷つくことを恐れるのか

社会という「ものさし」で自分を測っている

私たちはつい、自分の考えや行動を社会の目で測ってしまいます。

「周りはどう思うだろう」「普通はこうするものだ」「常識的に考えて」という言葉が、無意識のうちに判断基準になっているのです。

流行に乗っかる、みんなと同じことをする、周りに合わせる。それは、傷つくリスクを最小限にする生き方でもあります。

周りと同じであれば、批判されることは少ない。みんながやっていることをやれば、失敗しても「仕方ない」と思える。常識の範囲内にいれば、否定されることはない。

こうして私たちは、知らず知らずのうちに周りに似ていきます。自分らしさを少しずつ手放しながら、安全な場所に留まろうとするのです。

現状維持という心地よさ

私たちの心には、今いる場所に留まろうとする力が働いています。

慣れ親しんだ環境、いつもの人間関係、これまでのやり方。そこには安心感があり、何が起こるか予測できる心地よさがあります。

一方、未知の世界に踏み出すことは、本能的にストレスを感じることでもあります。何が起こるかわからない状況は、私たちの心にとって「危険かもしれない」と映るのです。

だからこそ、傷つく可能性のある挑戦よりも、傷つかない現状維持を選んでしまう。それは、無意識が自分を守ろうとしている自然な反応なのです。

「傷ついた」とは何なのか

物理的な損傷ではない

ここで、立ち止まって考えてみたいことがあります。

「傷つく」と言っても、私たちは物理的に怪我をするわけではありません。

誰かに否定されたとき、批判されたとき、失敗したとき。確かに胸が痛くなったり、気持ちが沈んだりすることはあります。けれど、それは体に傷がついたわけではないのです。

「心が傷ついた」という表現は、実際には「嫌な気持ちになった」ということを意味しています。不快な感情を体験した、ということにすぎません。

感情は情報の一つにすぎない

喜び、怒り、悲しみ、楽しさ。私たちは日々さまざまな感情を体験しています。

「傷ついた」と感じる気持ちも、その感情の一つです。嫌な出来事があったときに生まれる、一時的な心の反応なのです。

感情は大切な情報です。何かが自分にとって不快であること、何かが自分の価値観に反していることを教えてくれます。

けれど、感情はあくまでも情報であって、それに支配される必要はありません。感情を感じることと、感情に飲み込まれることは、まったく別のことなのです。

恐れの正体を見つめる

なぜ傷ついているのかを理解する

傷つくことを恐れているとき、自分自身に問いかけてみてください。

「私は何に対して傷ついているのだろう?」「何がそんなに怖いのだろう?」と。

多くの場合、論理的に考えてみると、恐れていることは思ったほど大きなことではありません。

「否定されるのが怖い」と感じていても、実際に否定されたからといって、あなたの価値が下がるわけではありません。「失敗するのが怖い」と感じていても、失敗したからといって、人生が終わるわけではありません。

感情のレベルでは大きな恐れに感じても、冷静に見つめてみると、実際の影響は限定的であることがほとんどです。

感情に臨場感を持ちすぎない

私たちは、感情に対して強い臨場感を持ってしまうことがあります。

「こんなに怖いのだから、きっと危険なことなのだ」「こんなに不安なのだから、やめておいた方がいいのだ」と、感情を根拠に判断してしまうのです。

けれど、感情は必ずしも現実を正確に反映しているわけではありません。

過去の経験から学習した反応であったり、想像上の最悪のシナリオに対する反応であったり。感情の根拠は、案外あいまいなものです。

だからこそ、感情を感じながらも、それに飲み込まれないことが大切になります。感情は感じつつ、論理的な判断も並行して行う。その両方を持つことで、恐れに支配されずに前に進むことができるのです。

傷つくことを恐れていると得られないもの

自分だけの人生を歩めなくなる

周りと同じことをしていれば、確かに傷つくリスクは減ります。

みんながやっていることには、たくさんの前例があります。成功のパターンも、失敗のパターンも、ある程度予測できます。サンプルが豊富にあるから、安心して進める道なのです。

けれど、あなたが本当にやりたいこと、心から実現したいことは、おそらく前例がほとんどないはずです。

誰もやったことがないこと、他の人たちが失敗してきたこと、成功事例がほとんどないこと。あなたの心が惹かれるのは、そういう未知の領域ではないでしょうか。

傷つくことを恐れて安全な道ばかり選んでいると、自分だけの人生を歩むことができなくなってしまいます。

挑戦するエネルギーが失われていく

傷つくことへの恐れは、挑戦へのエネルギーを少しずつ奪っていきます。

「やってみたいけど、失敗したら嫌だな」「興味はあるけど、批判されたら傷つくな」という気持ちが積み重なると、やがて挑戦すること自体を避けるようになります。

そして、挑戦しない期間が長くなるほど、「自分にはできない」という感覚が強くなっていきます。行動しないことで自信が削られ、ますます挑戦しづらくなる。この悪循環に陥ってしまうのです。

本当の自分を見失う

傷つかないように、否定されないように、批判されないように。そうやって自分を守り続けていると、いつの間にか本当の自分がわからなくなってしまいます。

周りに合わせることが習慣になり、自分の意見を言わないことが当たり前になり、やりたいことよりもやるべきことを優先するようになる。

気づいたときには、「自分は本当は何がしたかったのだろう」と途方に暮れてしまうこともあるのです。

感情と上手に付き合う

情動を楽しむという視点

傷つくことを恐れるのではなく、感情そのものを楽しむという視点を持ってみてください。

喜びも悲しみも、期待も不安も、すべては人生を彩る体験です。嬉しいことだけを体験したいと思っても、それは不可能です。光があれば影があるように、ポジティブな感情があればネガティブな感情もあります。

傷つくかもしれない体験を避け続けることは、同時に喜びや達成感を得る機会も避けることになります。

深く傷つく可能性があるからこそ、深い喜びも得られる。リスクを取るからこそ、大きな成果も手に入る。感情の振れ幅を恐れないことが、豊かな人生につながるのです。

視点を高く持つ

目の前の「傷つくかもしれない」という恐れに囚われているとき、視点を高く持つことが助けになります。

今この瞬間の不安や恐れは、人生全体で見たときにどれほどの意味があるでしょうか。一年後、五年後、十年後から振り返ったとき、今恐れていることはどれほど重要でしょうか。

多くの場合、時間が経てば「あのとき恐れていたことは、大したことではなかった」と気づきます。それなら、今この瞬間も、必要以上に恐れることはないのかもしれません。

視点を高く持つことで、感情に飲み込まれずに、より大きな視野で判断できるようになります。

恐れを超えて進むとき

傷つくことを恐れる気持ちは、なくなりません。それは人間として自然な感情であり、自分を守ろうとする心の働きだからです。

大切なのは、恐れをなくすことではなく、恐れがあっても進むことです。

感情を感じながらも、論理的に考える。不安があっても、それに支配されない。傷つく可能性を受け入れながらも、自分の道を歩む。

そうやって進んでいくとき、驚くほど物事はスムーズに動き始めます。

恐れていたほど批判されないかもしれない。想像していたほど傷つかないかもしれない。そして、恐れを超えた先には、今まで見えなかった景色が広がっているはずです。

傷つくことを恐れて立ち止まるか、傷つく可能性を受け入れて前に進むか。その選択は、いつもあなたの手の中にあります。

ABOUT ME
蓮彩 聖基 (はすたみ こうき)
蓮彩 聖基 (はすたみ こうき)
パーソナルコーチ
1997年 青森県生まれ。苫米地式コーチング認定コーチ養成講座 第7期修了。ドクター苫米地ワークス修了。田島大輔グランドマスターコーチに師事。認知科学者 苫米地英人博士より、無意識へ深く働きかける「内部表現の書き換え」や、コーチングの技術を習得。
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