コラム

「やりたいこと」は、見つけるものではない

蓮彩聖基

「やりたいことがわからない」そう語る人は少なくありません。

世の中には「やりたいこと探し」に関連する本や診断が溢れています。過去を振り返り、価値観を整理し、自己分析を繰り返す。ですが、多くの人はしばらくすると、また同じ問いに戻ってきます。なぜでしょうか?それは能力が足りないからでも、努力が不足しているからでもありません。そもそも、「やりたいことを探す」という前提そのものに、一つの認知的な錯覚が含まれているからです。

探すという行為は、「どこかに既に答えが存在している」という世界観を前提にしています。まるで、自分の中のどこかに本当の使命や天命が埋まっていて、それを発見できれば人生が動き出すかのように。

しかし、もし現実が固定化された答えを発見するゲームではなく、認知によって立ち上がる可能世界だとしたらどうでしょうか。つまりやりたいこととは、どこかに埋まっている発掘物ではありません。未来側との縁起によって立ち上がる、一つの情報状態なのです。

だから、いくら過去を掘っても探しても見つからないことでしょう。当然です。存在しないものを探しているようなものなのですから。そして多くの人は、「本当にやりたいことが見つかるまで動けない」と考えます。ですが実際には逆なのです。

選ぶから見える。動くから現れる。

未来を決めることで、その未来に必要な認知や行動が後から立ち上がってくるのです。つまり、「やりたいことが見つからない」のではありません。まだ、その可能世界を選択していないだけなのです。

もちろん、最初から人生を賭けるようなものを設定する必要はありません。仮置きで構わないのです。少しでも心が開く方向。少しでも世界が広がる方向。少しでも抽象度が上がる方向。その方向へ認知を向けてみる。まずはそれだけで十分なのです。

現状維持系は、「正解が見つかるまで待て。」と語りかけてくるかもしれません。しかし未来は、待っていても現れることはないのです。それは未来は選択するものだからです。

探すことをやめたとき。過去の連続性から離れたとき。可能世界との新しい縁起が紡がれます。やりたいことは、どこかに埋まっている正解ではありません。あなたが認知を向け、選択し、縁起を紡ぎ始めた場所で育っていくものです。

だから探さなくていい。まずは一つ、未来を置いてみることです。そこから世界は動き始めていきます。

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